西播磨リンク集
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3月6日は啓蟄の頃啓蟄は冬籠りしていた、生き物が土の中から目覚める時ですそんな春の訪れを感じる日に偶然にもフラミンゴ舎の土の中からひょっこり自然のカエルが冬眠からめざめたようです生きかえる
3月8日(木)、いよいよ卒業式本番を明日に控え、1,2年生で会場準備、清掃を行いました。 1、2年生は、明日の卒業式が良いものとなることを願いつつ、一所懸命に会場準備等に取り組みました。 卒業式会場、準備万端! ...
3月8日(火)、皆勤賞の表彰を行いました。 小学校、中学校 9年間 皆勤賞 古川 愛華 さん 中学校 3年間 皆勤賞 柴原 春輝 さん 中村 天満 さん 堀越あかり さん 門積 正汰 さん 讃岐 太貴 さん 中尾 尚輝 さん ...
◆校報「ひかり」3月号が発行されました。 校報ひかりのバナーをクリックの上、ご覧ください。
☆3月8日(木)、第1学年通信 つなぐ No.45.pdf が発行されました。 ◇ 内 容 ◆ ・卒業式に向けて ・今後の予定
☆3月8日(木)、第3学年通信 心を遣う No.64.pdf が発行されました。 ◇ 内 容 ◆ ・楽しかった学年レク!! ・卒業式当日についての注意事項 ・公立一般入試の事前指導です ・3学期末テストの結果が...
「こんなに危なかってん! 危険生物展」が大・大・大好評のため、なんと!!開催延長が決定しましたー!!(≧▽≦)パチパチ〜☆期間は3月26日(月)までです\(^o^)/♪ぜひぜひお越しください!!『かき』
3月8日(木)、3年生が最後の教室清掃を行いました。 1年間仲間と過ごした思い出がたくさんつまった教室に感謝の思いを込め、隅々まできれ いにしました。学級目標、学級旗、記録などもすべて取り、3年生になった頃の教室になりまし た。何もない教室を...
いよいよ卒業式を明日に控え、本日午後、1・2年生が卒業式 の会場準備を行いました。 午前中には、前日の予行演習の反省点をふまえて最後の練習を 行い、卒業式に向けた準備は万端です。 明日の本番が素晴らしい卒業式になることを期待しています。
キャビネット名:校報アーカイブス, ファイル名: 平成29年度3月号.pdf
3月7日(水)は音楽朝会でした。本校では3月12日に「3・11追悼集会」を行います。この時に歌う「幸せ運べるように」の合唱練習をしました。この曲は阪神淡路大震災が起きた1995年に神戸で生まれ、ふるさとの復興を願って今も大切に歌い継がれている曲です。...
坊勢寺跡 ( 姫路市家島町 ) 瀬戸内 には日本の他の地域にないものがあるってことでしょう。 【秋元康コラム】デビュー曲に込めた思い (YOMIURI ONLINE) STU48 のオーディションで合格したメンバーは、他のグループと比較すると、純朴に感じた。 (中略) それでも、みんな、瀬戸内の太陽や風のように爽やかだった。 (中略) かっこ悪く生きることは恥ずかしいことじゃない。 災害のなさ、温暖でのどかな気候。他の地域ではありえない純朴さは瀬戸内ならでは。 秋元康 さんが他の地域でオーディションしても地方色を感じない。 でも瀬戸内は違う。 地方色がある。 これ、とても大事なことだと思います。 グローバル社会・ネット社会だからこそ、ローカルなものにしか価値がなくなります。 参考 今年は瀬戸大橋開通30周年 (372log@姫路) 姫路にも急増。バカンス好きのフランス人は瀬戸内を目指す (372log@姫路) ローカルなものにしか価値がなくなる (372log@姫路) ← 1日1回クリックして頂けるとRankが上がります
林和靖の子孫である証拠、人民政府はそれを認めない 梅と鶴の末裔(10)孤山への途 (饅頭@杭州) 林和靖について調査を開始した川島英子氏でしたが、しかし、日本国内に林和靖の資料など幾らもありはしない。 無いこともないでしょう、 林和靖先生詩集 は江戸時代には日本でも刊行されていたようです。 しかしそこには、梅尭臣の序文がある。 逆に、林和靖には子孫は無いとする資料にしかならない。 日本側の資料には、林浄因は林和靖の後裔であったと当然の如く記されている。 なのに林和靖は 梅妻鶴子 (メイチーフーツ) 。 全ての林和靖に関する史料には、植梅養鶴をしながら孤山に住み20年間杭州城内にすら足を踏み入れなかった北宋の隠逸詩人で妻も子もない。 そう記されている。 林和靖に子孫はない 、それが定説だったのでした。 困った川島英子氏は杭州市長に相談、杭州市長は杭州大学の教授に依頼。 そうして杭州大学の教授から示された資料は、 ○ 『山家清供』 林洪著 ○ 『宗史 隠逸上林逋本伝』 ダメダメです。 杭州大学の教授さんも、よくもそんな資料を提示したものです。 林洪・可山 は 『山家清供』 の記述で、あれほど罵倒され叩かれた家系を偽る瓜皮 ...
始祖は林浄因命、ならば祖先は本当に林和靖なのか 梅と鶴の末裔(9)梅の開く季 (饅頭@京都) 京都、建仁寺 両足院、京都の春の建仁寺。 年に一度の墓参は亡父に託されて母が出向いていた。 笠付きの立派な墓石と合塔、建仁寺の塔頭 (たっちゅう) 両足院には江戸時代の頃までの祖先の墓がある。 塩瀬の家の始祖は、 林浄因命 (りんじょういんのみこと) だと伝えられていた。 (塔頭:死去した高僧等を記念する塔や別院を寺内に設えたもの) 老舗の子供などというものは可哀そうなもので、両親は朝早くから夜更けまで休み無く立働く。 子供は構って貰えないばかりか、時に理不尽に怒鳴りつけられることもある。 長じてからは大人たちに混じってお手伝い、幼い頃から老舗の暖簾というものを厭う気持ちは強かった。 だからサラリーマンの家に嫁いだのだが、今も繁忙期には呼び出される。 東京の塩瀬総本家は亡父の意志を継いで、母が当主となっていた。 墓参に出向く母には、都合のつく限り付き合うようにしていた。 母とともに過ごす時間というのは、貴重なのだ。 すると時には、母もポツリと本音をもらす。 『本当はね、マンションでも建てて老後はゆっくりしたいの』 でも ...
【メモ】林浄因命の帰国理由 (梅と鶴の末裔) 今回はまた適当なお話しで、失礼しました。 これでやっと下準備がととのって、次回からメインストーリーです。 妻子を置いて元に帰国してしまった林浄因。 理由は、 下賜された妻が高ピーでノイローゼになったから 、だなんて。 この御説の出所はどこなんでしょう? やっぱ、天下の司馬遼太郎先生なの? あのさ、その仮説で高ピーな妻は、その後も綿々と饅頭作りを続けた訳でしょう。 面白いけど、ちょっと失礼に過ぎる。 一時よりは中国人観光客も減りましたけど、接触する機会は昔よりずいぶん増えました。 ラ・ムーあたりへ買い物に行ったら、中国人どもが大声で中国語喋りながら自転車に大量の食料積んでる。 あいつら怪しいからって、店長は接触しようとしませんけど。 ウチも酷かったですよ。 親類が関空に夕方到着、その足でアベノハルカス、でもブランドショップは高価いから次はドンキに行け。 翌日からは、アウトレットだ、ダイソーだ、ドラッグストアだ、スキーに行くだ。 観光地も行きましたとも、京都も奈良も淡路島も、おかげで建仁寺も両足院も漢国神社も見れましたとも。 店長に東大寺案内してもらって、自分と ...
遠い歴史を隔て符合する家譜、梅妻鶴子の系譜 梅と鶴の末裔(11)苗裔は祖梅を拝し (饅頭@寧波) 黄賢村の梅鶴公園 日本饅頭の始祖は林逋 (りんぽ) の後裔であった。 その後裔は未だ日本で饅頭を作り続けている。 ならばそれは、黄賢林氏の同族でもあるのだ。 黄賢村の梅鶴公園には全村民が集まり、熱狂的な騒ぎとなっていた。 遠来の稀客がやってくる。 昨年、その日本の後裔から書記の 林孝良 のもとへ、黄賢村訪問を希望する旨の連絡が入ったのだ。 塩瀬総本家が孤山に林浄因紀念碑を据えに来たその時、林孝良の一家も家譜を携えて孤山に出向いた。 そして塩瀬の一族と邂逅した。 林孝良が黄賢林氏の家譜を広げ、塩瀬総本家が塩瀬の系図を並べて置いた。 両者を照合したところ、それは符合したのであった。 「少し以前に、日本饅頭の起源が寧波であると報道されて物議をかもした」 林孝良が語る。 林浄因 は1349年に日本の名僧の 龍山徳見 に伴って日本に渡り、奈良に居を定めて饅頭製作を業とした。 彼が作る饅頭は 『奈良饅頭』 と称せられ、唐式茶会の点心に供された。 龍山徳見が1358年に逝去、林浄因は翌年中国に帰国した。 残された林浄因の妻は家業として営 ...
3月7日(水)、卒業式の予行演習を行いました。 会場には緊張感が漂い、3年生、在校生ともに締まった表情で行いました。 また、送る歌、別れの歌も互いの思いがこもったすばらしい合唱となりました。 2日後の本番に向け気持ちを高めていきます。
皆様、こんにちは。3月26日(月)まで開催延長した企画展「こんなに危なかってん!危険生物展」の標本展示を一部変更しました。写真のタイワンコブラやタランチュラの仲間・セアカゴケグモ(全て姫路科学館蔵)を展示しました。 【タダ】
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